※ 愚痴記事です
最近、仕事でもプライベートでも、 やたらと見かけるようになった空気がある。 「まあ、なんとかなるでしょ」という『無言の甘え』。
直接そう言われるわけじゃない。 でも、行動や空気で、そう思っているんだろうな…と伝わってくる。 こちらが提示した締切が「なんとなくの目安」だとでも思ってるような雰囲気。
一応、多少のバッファーは設けてある。 でも、それは「万が一」のときに備えてのものであって、 最初からその猶予を食い潰していい理由にはならない。
「誰かがちょっとだけ困ったときに支えになれたらいいな」 っていう『やさしさの余白』なのに、
いつの間にか『最初からそれ前提で遅れてくる人』のために消費される。 しかも、それを当たり前のようにされると、やるせない。
表面上は「うまくいったように見える」だけ。
結果的に、表面上は間に合っている。 帳尻も合っている。 だから、締切を破った本人は「やっぱなんとかなった」と思ってしまう。
でもそれは、『偶然』が重なっただけ。 あるいは、『誰かが裏で必死に帳尻を合わせた』だけ。
「事故が起きなかったから安全だった」という理屈が通用しないのと同じで、 「間に合ったから問題なかった」と思うのは、非常に危うい。
火事がボヤで消し止められたからって、「燃えてないのと同じ」ではない。
もう「無責任」というレベルじゃない。「加害」だ。
自分の都合で締切を破るというのは、 ただ「ちょっとルーズ」なだけでは済まない。 それは他人の時間を勝手に削り、他人のスケジュールを踏みにじり、 誰かに負担を背負わせる『加害』だ。
その加害が見えづらいのは、誰かが黙って引き受けているから。 でもそれを前提にされると、やがて限界は来る。
例えば、仕事だったら最近あったのはExcelを使った作業。 「もっと見やすくできたはずなんだけどな……」 そう思いながら、誰かの『遅れ』を取り戻すために 最低限だけ直して、モヤモヤのまま提出するあの感じ。 あれを繰り返してると、どこか壊れてくる。
せめて、記憶の片隅に置いといてほしい。
これは怒りでもあるけれど、願いでもある。 「ちゃんとやってくれ」と怒鳴りたいわけじゃない。 ただ、 「自分の遅れが、誰かに何かをさせている」 ということに、少しでも気づいていてほしい。
責任感って、そんなに難しい話じゃない。 自分の行動が、誰かに影響を与えてるって意識するだけでいい。 それだけで、世界はずっと晴れ晴れと、平和になる。